
「最近観た映画で面白かったのは何かあっただすか?」と尋ねると・・・。
しばらく考えた後「『ミミズバーガー』です。」と・・・。

「な、なにそれ!?どんな話。」
「ミミズでできたハンバーガーを食べる話。」
「そのまんまやないかっ!」
なんてやり取りがあっただす。
人から渡された本でもなければ、まぁ手に取ることはないであろう題名。
「何もかも憂鬱な夜に」
もうタイトルが、まんまじゃないか。
「あぁ、何もかも憂鬱な夜なんだよぅって感じの話なんだろう?」って、思っちゃうじゃん。

「だいたいさ、生きてるだけで人は勝手に憂鬱になるのに、どうしてわざわざ読んでまで憂鬱を求めないといけないだすか?」
同じように、愛する人が死んじゃう映画とかも苦手で「今までもこれからも、イヤでも愛する人と離れるのに、なんでそんな気持ちを金払って味わいたいのさ」って天の邪鬼な気持ちになる。
根性なしの僕はそんな言い訳をしながら、毎日を極力は道の端っこで過ごしてます。
でも、タイトル通りの本ではなかった。
「憂鬱だよ、憂鬱だよな。」って読んでるこっちが憂鬱になるくらいうざったいものじゃなくて、スルリと間に入りこむように世界が染みていく物語だった。
死刑制度ってやつには色々と思うところがある。それ自体をどうこうここで書くつもりはないけどね。
思春期ってやつは厄介で、男の思春期なんかちっとも「春」じゃない。
もっとドロドロしてて、男性ホルモンに面白いように支配されてるよな。
それをバカに転換して小出しに発散できるのはある意味では健全で、それを内に納めてしまうと体内にドロドロが貯蓄される一方なんだよな。

そんで、おもむろに自分の詩集なんかをこっそりノートに書きはじめて、引っ越しの時に出てきたそれを読み返して、3ページ目で耐えられなくなって速攻でゴミ箱に捨てられるのだ。
この本を読んだ人は「あぁ、わかる。普通の人にはわかんないだろうけど、自分にはわかる。」って・・・・・・実はた〜くさんの人が、その感覚を共有できる作品だと思う。
『自分はマイノリティーだって感じてる、実はマジョリティーな部分。』
作家ってその部分をくすぐるのが上手な人ってイメージがある。
作者の中村さんは、それがとっても「上手」でそしてきっと「自分もそうだから」なんだろうな。
あぁ、そうか。

後半からの取ってつけたような救いには少し抵抗があったけど、それがなかったら「何もかも憂鬱な夜」のあとに「に」がつかないんだな。
「何もかも憂鬱な夜…に」
うん。やっぱりタイトル通りの本だったな。
憂鬱な夜に、ドロドロをバカに転換できるには、仲間が必要だ。
1人でいたって、救いは生まれない。
この本だって、1人だったらそこで終わってる話だ。
盟友ALL SWAMPSさんのバカ騒ぎに、ショウダウンさんと&ステージタイガー参上。
あなたの憂鬱な夜を吹き飛ばす仲間に、会いに来てくださいまし!!
http://news.st-tg.net/article/312099433.html
